岩井の本棚 「マンガけもの道」 第3回 |
コージ苑カルタ
当時一世を風靡したお笑い、といえども、今それが通用するかといわれたら別問題です。僕はダウンタウンの直撃世代ですが、今の若い子たちはダウンタウンで笑わないと思います。
同じように、いまうすた京介とかジョージ朝倉とかで笑う子が、過去のギャグマンガ家では笑わないでしょう。
山上たつひこしかり、鴨川つばめしかり、江口寿史しかり・・・。
(図1)
しかし、相原さんは前述の方のように、路線転換をしたり、完全に消え去ったりはせず、今に至っています。
以前相原コージさんが自作で、自分の過去の人気と現状を「加藤茶みたいなもんか・・・」と自嘲してましたが、 自分を加藤茶になぞらえてもOKくらいの人気が、相原コージさんには確かにあったのです。
今回紹介するのはその相原コージさんの人気が絶頂だったときに作られた「コージ苑カルタ」です。
80年代の軽薄文化は色々な罪つくりなものを生み出しましたが、今これ、机の上にあるのをまっすぐ正視できないほどツライです。
帯からして「遊べてすみません。・・・ダザイはん」・・・ですよ(図1)。 これがコージ苑の人気キャラクターだった、と今だったら注釈が必要です。
(図2)
(図4)
誰だかわかりますか? 太川陽介がゾンビになっているんですが、当時落ち目だった太川陽介を笑いものにしている時点で、今読むとひどく切ないです。
(図3)
当時大人気だった相原さんはインタビューでこの質問をされることが多かったようで、たしか「サルまん」でもインタビューへの不満を記していたように思います。
これもイタいですね。思わず眉間にしわが寄ります。
この「つまんねーなー」と本を読んでる男を吹き矢で狙ってるこの絵(図4)、の文が「さくしゃの心読者知らず」。
云っていることはわかるのですが、直戴すぎてアイタタです。
当時人気絶頂だったからこそここまで踏み込めたのだといえるのですが、 逆に今の自虐的作風をかんがみるに、本人的にも、わかいころのかなりこういった作風を後悔していると思われて、そこがまたイタいのです。
ギャグマンガはどうしたって時代のものです。このコージ苑カルタ、はそれを痛切に感じさせてくれる一品です。
相原さんは、80年代後半からの「コージ苑」に至るまでは、新感覚4コマ、不条理マンガ、お下劣ギャグといった色々なことばで、 若い才能を表現されていました。斬新、実験的、不条理・・・どれも旧来の4コマになかった評価です。
そして「サルでも描けるマンガ教室」。
竹熊健太郎さんの注釈的知識の多さと、由起賢二の絵を模倣するという突飛さ。
マンガ界の内枠と現実をうまく読者に提示できた稀有な作品です。
未だファンが多く、語られることも多い名作ですね。その次作の「ムジナ」を失敗作ととるかどうかで評価は分かれると思いますが、 マンガ読みのヒトはともかく世間的には、あそこから読まなくなったファンが多いようです。
相原さん自身も疲弊したのか、本人も「描けなくなった」と発言することが多くなっていました。
その後、かなりながい沈黙期があり、みなが忘れた頃に、古巣スピリッツ上で「なにがオモロイの?」という、 実験的な4コマで、読者が何を面白いと思っているかをリサーチする企画がスタート。
これ、周囲の人間にも聞いてみましたが、あまりにも痛々しくて見ていられないという意見が多かったですね。
面白くない、という結果に傷つきながらも、斬新なギャグを思いつくべく試行錯誤し、ラスト近くは何も残らなかった。
鴨川つばめとかのラストを彷彿とさせます。
才能を搾り出すことと、それが世に受け入れられるか。
世間的な評価は低いこのシリーズですが、相原さんの才能と実験的精神の旺盛さを知るには絶好です。
ちなみにこの本、コンビニ廉価本の「My First BIG」でのみ発売されたので、今読もうと思っても、かなり探さんと見つかりません。
去年刊行された再編集本「コージ苑 全」のあとがきで、 「ギャグはどうしたって時代のものだ。よくギャグに関して「毒がなくなった」とか言われるが、確かに面白いギャグは毒なのだ。 毒は何度も浴びているうちに免疫が出来る。免疫が出来てしまえばもうその毒も終わりだ」と、相原さんは語っています。
相原さんの毒は本当になくなったのでしょうか?
しかしコージ苑から15年。いま連載中の「漫歌エロティカ派」に時々掲載される私生活4コマは、 今までの自虐を、猛毒に変えるほどのパワーです。
相原さんの毒は、この不況で暗い世相だからこそ、まだまだ通用すると僕は信じますね。
※この記事は2004年9月28日に掲載したものです。
(担当岩井)