リリシズム 上村一夫の世界 まんだらけ全店、通信販売にて発売中


「同棲時代」「修羅雪姫」「しなの川」など数々の名作を生み出し、いまだ衰えぬ人気を誇る漫画家上村一夫。 彼の幼少期から学生時代、デザイナーの仕事、盟友阿久悠との出会い、漫画家デビューから黄金期そして晩年までを、大量の画像と文章で綴った一冊。

巻末には作品・単行本リストの他、上村を特集した雑誌、グッズなども紹介。 原作を多く手掛けた岡崎英生、劇画家上村を生み出した編集者・筧悟、上村の実娘で上村オフィス主宰の上村汀による鼎談を収録。読んで観れる豪華ムックの登場です。

体裁 : A4判 上製 布張り
頁数 : 336p (カラー184p)
定価 : ¥3,800+税
ISBN : 978-4-86072-084-1 C0079

装幀について

写真のような書影です。 (実物ではありませんので少し感じが違うと思いますのでご了承ください)

上製 (ハードカバー) に布張りしています。
カバーが厚めになっていますので、まさに重厚な仕上がりです。 本文がA4判ですので、本来のA4判サイズより一回りぐらい大きくなっています。

カバーを少し凹まして画を貼付していますので立体感でました。 背を含めて文字は全て銀の箔押しです。

本全体を透明なフィルムでシュリンクしていますので布が傷つくことなくお届けできます。 シュリンクの上に帯部分のシールと裏面にはバーコードのシールを貼付しています。

しっかりとした綴じ方にしていますので、よく開いてページをみても割れることはほとんどありません。 隅々まで見られるようになっています。

上村一夫が好きだ。
上村の作品を全部読みたいと思った。
だいたい全部読めたなと思い、リストを作った。
本当に上村が好きだと思った。
上村一夫の大図鑑が欲しいと思った。
だから図鑑を作った。

コンセプトは図鑑。
大図鑑というコンセプトが装丁、内容にも口を出してくる、大図鑑様じゃないといけない。
大図鑑にふさわしい資料性、大図鑑にふさわしいカラー図版の数々、 大図鑑にふさわしい物語と自らにプレッシャーを掛けて行くと上村一夫の諸行が どんどん勝手に図鑑の方へ導いていってくれる。どんどんページが増えていく、 1年前に最初に書いた台割りでは224ページだったものが、112ページ増の336ページになった。これは図鑑だ。

上村の言葉で「劇画という世界に飛び込んで空地を探したら女というところが空いていたのでそこに種を蒔いた」というのがあり終始、おんなを描き続けた。 今回、初のお蔵出しになる初期のデザインイラストからおんな、おんな、おんな、そして、飛び込んでいった劇画の世界でも、そのおんなを描くことによって頂点に登りつめる。

まんだらけ購入特典

「同棲時代」今日子のその後 - 次郎への手紙
構成・岡崎英生
冊子 (A4判16頁)

連載終了の5年後、今日子から次郎へあてた手紙、という形をとって発表された「同棲時代」のその後。『素敵女性』 (1979年) に掲載された。

購入特典に関する詳しい情報はこちらから
辻中
とりあえずあの、じゃあこれ作る経緯ってのが、まぁあって。
この劇画研究家の森田さんっていうのが何年集めてるんですか?
まぁ、12、3年集めてく中で何か集大成的なものを作りたいと思って。
辻中
去年、もうぶっちゃけた話でいうと生誕70年ってのが2010年にあって、2010年の、先生の、誕生日までに出したい。 だから、それくらいまでに出そうぜって話になって、すごく、去年の時点で編集が始まったんだけど、そん中には色んな状況が重なりつつあって、で、まあ生誕70周年てのは、まぁ能(あた)わなかったと。で、でもその生誕70周年ってのがでもあったから、こういう話が浮き出てきて、上村一夫ってやつのバイオグラフィーを、全てを書くっていうやつを、それもカラーをふんだんに使った本であるっていうのが、これは森田さんの心の中にあった、内容で。
辻中
それは生誕70周年で、今、上村一夫オフィスをやられてる娘さんの汀(みぎわ)さんがそれに呼応するかたちで作りたいって話になりまして、その中で森田さんとは旧知の中であるまんだらけのこの私が、喋ってる中で、まぁやらないかって話になって、汀さんに話をその後、まんだらけさんを選んだ理由としては、まんだらけで出してるフーテンって本があるんですけど、その本の装丁だとか編集の方向性とか、まんだらけさんと森田さんっていうスタッフでやれば面白いもの、いいものになるんじゃないかなというところがすごい強くあったからそれでやりたいっていう風に思ったんだよって、まぁ言ってくれた。
辻中
一応ですね、197何年だろう?あの、松島さんの…
森田
1973年に上村一夫の世界という
辻中
今回の副題と同じタイトルなんですけど
森田
当時その上村さんと付き合いの深かったサンデー毎日の記者やってた人が書いた本があって
辻中
その本っていうのは73年だから、逆に言うと上村さんは73年は同棲時代は書いてるんだけど、その後74年、75年と全盛期に向かっていくところの上村がそこには載ってないという。ま、当たり前の話だけどね。これから昇っていく上村っていうのが、そこには、その本にはあるんだけど、まぁ、45歳で亡くなるんだけど。その45歳までっていうと、そっから10年くらいしかないけど。その間の上村さんっていうのもちゃんと入れたものを持ちたいって話になったんだよね。
森田
そうだね。
辻中
うん。
森田
だけどまぁ、その73年の本のときには勿論本人は生きてたわけだから、本人からエピソードとかを聞けたわけだけど、今回勿論なくなっちゃってるわけだから、他の資料とか関係者の発言からしか辿れないっていうのが…ね。残念であるけど逆にやりがいがあると。
辻中
そうだね、うん。
森田
で、まぁ資料とかインタビューとかは集めてたから、それをまとめて一つの流れにするっていう、そこが割と一番大変だったんですけどね。
辻中
基本的にこの本自体は誕生したところから始まるんですけど。それが亡くなるまでの流れとしてある本にしようと。でもこれって、一番最初に森田さんと喋ったときは本当いわゆる世の中で言う饅頭本なんじゃねえかっていう。ただ人生を追ってってっていうようなそういう饅頭本だったらダメだねっていうような話の中で、じゃあどういう資料があるのかっていう話を、まぁ、どのくらい資料が子供のとき、子供のときもしくは漫画家としてデビューする前の資料としてはどういうものがあんのかなっていうのがあって、そこが立派だったら良いなって話にまぁなったわけ。で、そんな中で実際上村邸にまぁ森田さんが聞いてみたところ、まぁ、要するに漫画家の以前でね、うん。
森田
元々ね。本人は漫画家なんてのは意識がなくて、イラストレーター、デザイナーになりたくて絵の道に進んでたって人だから…
辻中
うん。
森田
その頃ね、色々イラストレーター時代の作品とか色々残されてて…
辻中
それがやっぱりこの年代で行こうっていう踏み切らせた大きい理由だったね。僕自身もまんだらけで働いてて、まるっきり見たこと無いっていうよりも存在も知らないようなものがかなりの部分で残ってて。勝手に、レコードジャケットとか勝手に書いてるんだよね。もう勝手にやってるワークスがあって、それが今となってはさぁ、バーに入ってくる話、バーに入ってくるレコードジャケットのシリーズがあるんだけど、それとかだと、僕らなりの解読はしてみたんだけど、どうやらストーリーがあって順番があるっぽいんすよ。当時から、これきっと65、66年の作品でしょ?
森田
そうだね。
辻中
思われるんだけど。要するにレコードのジャケットの連作として、漫画になってるんだよね。一番最初にバーで飲んでる男がいて、そこんとこに女がくるとかっていうようなストーリーになってるんだけど。ただ、そういう習作類とかっていうのも、何か「あった!」っていう時にやっぱりこのデビュー以前っていうやつはそれなりに面白くできるぞって、上村のバックグラウンドがきけるぞっていう意味だったらやれると思って、年代順ってことになっていった。
森田
一番こういうデビュー前のってさ知りたい人は多いかもしれないな、こう上村のファンとかはさ。
辻中
特に上村のファンはそうだと思う。阿久悠さんとその宣弘社という月光仮面をやってた会社で…
森田
広告会社。
辻中
何か電通の近くにあったんだよね。二流だった筈だったんだよね。
森田
そこに元々阿久悠さんが社員で働いてて、そこに上村さんがアルバイトで…
辻中
隣りの席だったつうの、それが!
森田
アルバイトで入ってきて、隣りの席…。隣り合わせに、なって。それでまあ仕事以外に昼休みとかに二人で話すようになって。それで色々二人で音楽を作詞作曲コンビで作ったりとか。当時上村さんはギターが上手いんで曲を作れたってこともあって。
辻中
もう毎日作ったって、何かに書いてあったよねえ。
森田
そんなことばっかり会社の昼休みにやってたという。
辻中
で、ちょっとどうでもいい話かもしれないんだけど、実際に上村さんが作曲した曲はあんま日を見なかったんでしょ?
森田
その頃は丸っきり世に出てないんだけれども、しばらくたって阿久悠さんがちゃんとした作詞家になった後に女の童話っていうシングルレコードがあるんだけど。
辻中
それ1973、4年?
森田
それ70年位。
辻中
そんな前なんだ?
森田
それもうほんと丸っきり売れなかった。
辻中
ふーん。そんな話も書いてあるんだけど。実際、阿久悠っていうのが無名の阿久悠っていうのとですね、交流があるんだけど。実際、今回載せてる写真でも、例えばですね、、う~んと、夏のね、海に行って、二人で岩の上で、二人が仲良く背を…
森田
社員旅行のね。
辻中
背を合わせながら座ってるっていうかたちだったり。やっぱりその才能は才能を知ったんだろうね、きっとねえ。
辻中
宣弘社を辞めるわけ。上村さんちょっと。上村さんっていうのは多分アーティストだったから…
森田
まぁ、ちょっとねえ。そういう広告会社の仕事、嫌気が射して…
辻中
嫌気が射して。
森田
すぐ辞めちゃうんだけど。
辻中
辞めた後に…
森田
で、そのままね。音信不通にね、二人が音信不通になってて。だけども阿久悠さんは必ずこのどっかで上村一夫…
辻中
出てくるぞ!と。
森田
イラストレーターが必ずまた世に出てくるっちゅうのをこう信じてて…それで、どっかでこう待ってたていうのが…
辻中
で、奥さんに。阿久さんの奥さんにもうチェックしとけっていう話をしてたら、ある日出てくるんだよね。
森田
平凡パンチにこう、上村一夫イラストっていう名前でこう、出てきて。それを見つけて…
辻中
うん。
森田
ああ、やっぱり出てきたかって。
辻中
いうので…
森田
それでまた二人がね、連絡を取り合うようになって。そこからまた…
辻中
漫画っていうか、イラストストーリーっていうか…
森田
最初はね。
辻中
うん。
森田
だけど
辻中
うん。
森田
最初はでもあれ音楽をまたやろうと思ったらしい、そん時はね。
辻中
うん。
森田
だけどもいつの間にかこう話がやっぱり…。まぁ、その頃は丁度上村さんも劇画の仕事を頼まれ始めた頃だったからね。じゃあって言って。結局は音楽の話は消滅しちゃって、劇画の、漫画の仕事を二人で一緒にやろうということになって。
辻中
うん。だから何か阿久さんっていうのはすごくやっぱり上村さんの人生にとってはかなりのポイントになる人で。 うん。で、阿久さん自体がでも上村さんに多分惚れてた、才能に、惚れてたんだと思う。 漫画にしても、その歌にしても。でね、亡くなった時に弔辞もね、阿久さんなんだよね?
森田
そうですね。上村さんが亡くなった時に、阿久悠さんが弔辞を、ね。詠んでる訳で。それが実物がちょっと残ってて。
辻中
それはまぁ是非とも載っけたいって話になって。 勿論、上村さんの娘さん、さっきから何度も出てる汀さんっていうのと。
辻中
阿久さんのね、息子さんっていうのが昔から知り合いは知り合いなんだよね。 それでね、「載っけていいかい?」みたいな話を向こうがしてくれて。 まぁ、もう是非とも載っけたいっていう。
辻中
で、そういう何かその編集方針っていうか、その流れっていうのは、やっぱり森田さんっていうまぁキチガイマニアが。 この人大半の資料持ってるんですよ。大概の資料を持ってて。資料っていう意味ではもう多分95%森田さんとこから出てきてる資料で。
辻中
勿論、なんつうその原画は違う。原画以外の資料、多分95%以上かもしれない。 が、森田さんとこからの実際持ってる、持ってらっしゃる資料で。 だから、無いものっていうのはそんな無かったり。
辻中
でもまぁ、編集期間が一年以上延びたんで、やったんで、その間に新しく分かってきた資料とか、もうそんなのも色々あるわけ。 で、その資料があるからこの本が成り立ったっていうのは勿論ありますよね。
辻中
あの、御家族を付き合わせた時間としては相当、一回行くと6、7時間ずつ居ても終わんないですよね? もう何回も何回も行ってもらって、そん中で原画とらしてもらったんだけど。
辻中
で、そこの部分ってのは勿論今回カラーで大きい判の本で出すっていうところにおいて、ある程度叶えれたっていう風には勿論思ってるし、すごい良い本なんだけど。 僕なんかは本当にこの本のもう一つの今のそのカラーページを載っけるっていう軸と、もう一つの軸っていうのは、この人(森田さん)はコレクターで、コレクターの人が「これにも上村載ってる、あれにも載ってる」っていうような事を90年代からまぁ2005年くらいまで、もうみんながもう何か争うように買ってる時代っていうのがあって、それをマスターしたっていうか、もうマスターレベルになったのが森田さんっていう人間で。
辻中
で、この人のとこに聞いたらまぁ、大体の資料は出てくる。だから本当、雑誌の中に1ページ、半ページ載ってる記事とかが、載ってる。 で、そこに載ってたんだっていうのが分かる、そういう風にマニア、コレクターが作った本っていう意味においてもこの本はすごく面白いかな。
辻中
で、本文の展開っていうのも色んなとこで上村さんが喋ったこと、もしくは上村さんが語られてる事っていうやつを引用しながら時代を追って行くっていうね。 物語の年代を経てくとかっていうのはそこはかなりですね、まぁ森田さんが大半書いてるんだけど。
辻中
客観的に、客観的にっていうか合ってるか合ってないかは分かんない部分もあるけど、森田さんが考える清算出来る事実だと思うことを繋ぎ合わせていく作業っていう。 それが、コレクターであるこの人だからこそできたっていう部分っていうのは本当にあると思う。そこは本当面白い部分かな。
辻中
原画をそのままっていう、出来るだけそのままっていう考え方の始まりっていうのは、何て言うんだろう普通カラーで描いてるものにしても白黒で描いてあるものにしても原稿っていうのは基本的に印刷で飛ばしちゃうんだよね。
辻中
例えばこの絵で見て頂ければ分かると思うんですけど。 画集であったり普通の印刷っていうものってのは基本的に「白い部分は白く飛ばす」とかっていうのが普通なんだよね。だから、今回の編集方針としては、例えば黒いところは黒くするっていうのが普通なの、それが。なんだけど、僕らとしては何か「息吹」が届いて欲しいなっていうところがあって。
辻中
この「息吹」ってのもかなり自己満足で、自己満足な部分は認める。今回、森田さんの自己満足も「自己満足だよ」って僕も言ったこともあるくらいなんだけど。 基本的にはでも、当時のその飛ばしてない状況っていうやつが、見たい。 でも実際、当時ほんとにもっと紙白かったからホワイトがこんな目立ったかどうかってのは分かんないわけ。
辻中
でも、ホワイトとかっていうのは、基本的に漫画のテクニックとしては、ホワイトは入れるよね?入れて、ホワイトの部分は写らないっていうのが漫画としての原則。 その原則に対して、今回は“物”としての原稿、原画っていう風に考えたら「それをそのまま載っけようか」っていう風になった。それは良い悪いって話じゃないし、好みの話になっちゃうんだけど。 好みっていうかまぁ、物としての「写そう」っていうのが僕らの好みだったっていう部分だと思う。
辻中
で、同棲時代っていうのは上村さんの代表作なんですど、よく「最終回があった」みたいな本があってね。 最終回はこうだったみたいな本がよく出てたりするんですけど。 そん時には何かその二年後くらいにポっと読み切りみたいな最終回が描かれてるんだよね?
森田
うん、番外編。
辻中
番外編っていうかたちで。その後の主人公である今日子と次郎がどうなるのかっていう。次郎がもう一回ウジウジしながら今日子に逢いに行くっていう話がそこで描かれてるんですけど、それが最終回だっていうのが世の常なんですよ。なんですけど。その73年の暮れに終わった同棲時代ってのを1979年に。
森田
連載終わって5年後。
辻中
うん。
森田
普通の女性誌にね。
辻中
素敵な女性っていうタイトルで今はもうこんな本もあんのかと思うような。あったのかっていうようなタイトルのところで、同棲時代のその後の今日子が次郎に送る手紙っていうのがそこで描かれてる。で、これっていうのはそこに載りっぱなしなんだよね。
森田
うん、あまり、殆ど知られてない。
辻中
ていうのを一応今回の特典として、同棲時代のなんつうのまぁ有名シーンっていうか同棲時代の原稿に、を、載っけたところにその手紙が載るというのが、今回の特典。