スーザンさんからの長いメールが来ております。
本文の冒頭にも書かれてありますが、3通に分けて送られて来たものです。
しかし今回も皆さんの気づきにとってとても参考になることばかりが詰まっていますので、まとめて一気に掲載しました。
また質問メールと回答を分けずに、これも一緒に掲載してしまいました。
少しですが今回から参考図も入れてみましたがいかがでしょうか。
現状脳内の演算能力が私の人生では最小化していまして、お答えするのが非常に苦しい作業になってしまいました。
それでもスーザンさんのおかげで、多くの啓発を得ることが出来たことは感謝です。
それではエキサイティングな世界の謎にチャレンジするスーザンさんの文章をお楽しみ下さい。
空蔵55様、みわ様
いつも大変お世話になっており、誠にありがとうございます。
以前、No3899にてご回答頂いた際に頂いた問題にお答えできるようがんばっておりましたが、虚空蔵55様の思考に中々ついていくことが出来ず、返信が遅くなってしまいました。失礼致しました。
私が理解できた範囲になってしまいますが、私なりに精一杯考えさせて頂いた質問になります。どうぞよろしくお願い致します。
(本日の質問はとても長くなってしまいそうなので、3通の質問に分けて投稿させて頂きます。大変なお手数をお掛け致しますが、何卒よろしくお願い申し上げます)
[ハウスドルフ次元について]
まず、ハウスドルフ次元について考察したことを書かせて頂きます。
ハウスドルフ次元は、体積を測るために使用される「ハウスドルフ測度」というものと密接な関係があります。
話しは少しそれますが、数学では一般にn次元空間において、n次元体積というものを考察します。
1次元体積は長さを、2次元体積は面積を、3次元体積は一般的に使用される体積を表す...といった感じです。
例えば、紙に書いた適当な図形Aの面積を、(数学的には)どのように測るかと言いますと、その図形を方眼紙の上に乗せて、方眼紙のマス目何個分を占めているか(いくつのマス目で覆えているか)を数えるという原始的な方法で測ります。
方眼紙のマス目一つ分の面積は、正方形の面積ですから、一辺の長さの2乗で求められます。よって、(数えたマス目の個数)×(マス目一つ分の面積)で図形Aの面積が求められるという考え方です。
もっとも、この測り方では、近似値しか出せませんが、方眼紙のマス目をどんどん細かくしていけば、近似値が正確な面積の値にどんどん近づいていき、最終的には、その極限値が面積に一致するものと考えています。
もう少し正確に言いますと、極限値は存在しない場合もあるのですが、その場合は面積は測れないとして、極限値が存在する場合のみ、その極限値を面積と定義するという方法を採用しています。
図形の体積を測る場合は、3次元版の方眼紙を用意して(このようなものは無いと思いますが、想像上での話です)、考えている図形が3次元版の方眼紙のマス目何個分かを数えて...と同じように考えることになっております。
ただ、今度の場合は、マス目が立方体になりますので、マス目一つの体積が、一辺の長さの2乗ではなく、一辺の長さの3乗になるのが面積の場合と異なります。
ここで、感覚的には当たり前の注意ですが、(有限の範囲に収まる)平面的な図形は、(高さがありませんから、いくらでも薄い立方体で覆えてしまいますので)その3次元体積は0になってしまいますし、立体的な図形は、(薄い正方形の紙を何枚用意しても決して立体的な図形を覆うことは出来ませんので)その2次元体積(面積)は無限大になってしまいます。
ここが一寸難しいですね。多分「覆う」というのは「埋める」という意味なのでしょうね。
ハウスドルフ測度は、このような面積や体積の測り方をもう少し柔軟にしたものというのが私の理解です。
ハウスドルフ測度の場合は、面積や体積を測ったときのように、正方形や立方体のみで対象の図形を覆うことに捉われず、もっと色々な図形で覆うことを許します。
そして、ハウスドルフ次元の柔軟なところは、面積や体積のように2乗や3乗というように、整数乗に拘らず、無理数乗(ここでは、例えばある無理数sを取ってきて、s乗をするとします)も許してしまうところにあります。
ただし、今度は正方形や立方体のみではなく、様々な形の図形で覆うことを許してしまいますので、一辺の長さの代わりに、それぞれの図形の``直径''(それぞれの図形の中で、長さが最も離れている2点間の距離のこと)を考え、対象の図形を覆うために使用した全ての図形に対し、直径のs乗を計算して、それらを足し合わせていくということをします。
ここでも「対象の図形を覆う」→たぶん埋めつくすという意味でしょうが、ただ直径のs乗というのが分からない→最小単位図形を立方体とするなら各辺のs乗でいいと思うのですが、直径のs乗というのは球体でもないのですね。ここはまた何か数学的な意味があるのでしょう。
くどいですが、面積や体積の場合は一辺の長さの2乗や3乗だったものが、ハウスドルフ測度ですと、直径のs乗(無理数乗)になったという状況です。
誤解を恐れずに大雑把に言ってしまいますと、あとは面積や体積を求めた時のように(方眼紙のマス目を細かくしていったように)、今度は各図形の直径をどんどん細かくしていき、その極限値として``s次元ハウスドルフ測度''を定義します。
ぼやけた数学的な知識で考えますと、ある意味ここでは積分化しているとしてよいのでしょうか?(最小単位を積み重ねるという意味で…見当違いかも)
ただし、ある図形Bに対して、無理数sを勝手に選んできてしまいますと、大抵の場合は図形Bのs次元ハウスドルフ測度は0か無限大となってしまい、意味のない値しか出てきません。
もう少し正確に言いますと、sが小さいときは、図形Bのs次元ハウスドルフ測度の値はずっと無限大という値を計測してしまい、sが大きいと図形Bのs次元ハウスドルフ測度の値はずっと0という値を計測してしまいます。
そして、面白いことに、sが小さいときはずっと無限大という値を計測してしまう図形Bのハウスドルフ測度ですが、sを大きくしていくと、あるとき突然図形Bのハウスドルフ測度の値が0を計測する瞬間があります。
(こんな感じのグラフが出てきます。正しく表示されていますでしょうか?)
この変わり目のsの値が、図形Bのハウスドルフ次元と定義されています。
これは、例えば2.5次元の図形を、2.2次元ハウスドルフ測度で計測すれば、(対象の図形が、手持ちの計測器で測るには大きすぎますので)その2.2次元体積は無限大となってしまい、逆に2.7次元ハウスドルフ測度で計測すれば、(対象の図形が、手持ちの計測器で測るには小さすぎますので)その2.7次元体積は0となってしまという現象を表わしております。
ここ大事そうです…ここで使用している計測器とはどういうものか、どういう意味を持つのか検証したいですね。
おそらくですが、この計測器にあたるのが「観測者(人間)」ですと、当座の認識次元に閉じ込められ、下位次元も上位次元も見ることが出来ない状態を表しているように見えますが…どうなのでしょうか。
ここの解説は興味深いです。
そして、これは2次元の図形(平面的な図形)が薄すぎるため、その3次元体積が0になってしまい、3次元の図形(立体的な図形)が大きすぎるため、その2次元体積(面積)が0になってしまうということの、無理数次元への拡張になっております。
また、ハウスドルフ次元の定義は、2次元の図形の2次元体積(面積)が長さの2乗で計測され、3次元の図形の3次元体積が長さの3乗で計測されたように、2.5次元の図形の2.5次元体積は、長さの2.5乗で計測されるということを端的に表しております(2.5次元体積は長さの2.2乗や、2.7乗ではきちんと測ることが出来ない)。
以上がハウスドルフ次元の長い長い説明になってしまいましたが、以上の定義から、No.3899で頂いた虚空蔵55様からのご質問
「2次元上の平面に如何にすれば2次元以上の図を描けるか」
への私なりの解答は、立体的な絵を紙の上に「仮想」で描くように、2.13次元の図形も同じように「仮想」で描くことになるという身も蓋もない解答になってしまいます。
例えば、フラクタル図形として有名なワイエルシュトラス関数のグラフは、1次元体積(長さ)は無限大になってしまい、面積は(線状のグラフですから)0ですから、1次元と2次元の間の図形だと分かりますので、その全貌を余すことなく(何ら情報を切り捨てることなく)2次元平面上の紙の上に描くことが出来ます。
なるほどワイエルシュトラス関数では確かに1次元以上の絵が描けますが、しかしそれは1次元上にではなく、2次元上にグラフという形で現れていますね。
そうしますとやはり1次元〜2次元の構造物(図形)は、その次元以上の背景がないと描けないという事になってしまいますね(そもそもこのワイエルシュトラス関数とはフラクタル的に何次元なのでしょうか?)。
ここはまだ少し考察が必要な気がしています。
しかし一方で、2次元を超える図形はやや立体感が出てきて(有名な例ですとローレンツアトラクターと呼ばれる図形があります)、虚空蔵55様からご回答頂きましたように、2次元平面内に(その情報を落とさずに)完全に描くことは出来ません。
そのため、紙の上に描こうとすれば、やはり「仮想」で描くしかないと思われます。
ここでの命題もスーザンさんの文章から次第に明確になって来ていまして、先ほどのワイエルシュトラス関数の件で、「2次元以下の構造体は、2次元平面に書くことが出来る」というある意味当たり前の事実がありましたが、実はここに大きな落とし穴がありました。
それは「ワイエルシュトラス関数は2次元平面に延長されて描かれている」という事実を見逃していたのです(同じことをいっているようですが…)。
上に出てきたローレンツアトラクター図形も3次元方向に延長され、展開された図形ではないでしょうか。
例えば1次元の線分を考えてみます。
長さが1mの線があったとします。
これは1次元の構造物ですが、グネグネ曲げたり折ったりしますと、それなりに次元が上昇します(たぶん・ここはスーザンさんに数学的に証明してほしいです・少なくともフラクタル的に変化させますと間違いなく次元上昇しますが、規則も何もなく折れ曲がっても次元上昇するのかどうかは分かりません)。
この時1mの線分内に棲息している観測者から見ますと、その世界は常に0次元の点しか見えません。
1mの線分がいくら次元上昇しても、内部から見ると点にしか過ぎず、何も変わりはしません。
しかし実際は1mの線分(世界)はグネグネ曲げられて次元上昇しているのですが、それを見るためには平面(2次元)に展開しないといけないわけです(線分内の棲息者が次元上昇しなければ見れないという意味でもあります)。
或いは1次元図形が次元上昇するには、「上位次元に展開しないと出来ない」ということになります。
「曲げたり折ったりという変化は、常に上位次元において可能になる」という事実も確認されます。
この例から類推しますと「世界が次元上昇するには、上位次元方向に変化させなければならない」ということがいえます。
当たり前といえば当たり前ですが、ここにある今の人間にとっての上位次元とは、宇宙全史では延々説かれている「自立できる存在」とかでしょうか。
とにかく線分の世界がいくら次元上昇しても、内部に棲息する存在は目の前の点しか見えないわけです。
しかし実際世界は上位次元に展開されていますから、いつも通りに線分内(1次元上)を移動していて、目の前がいつもと同じ点の世界であっても、上位次元上を移動しているのです。
例えば球体を考えてみます。
ボールの表面や地球の表面も同じ球体の表面で、2次元と思われていますが、これまでの考察で「3次元方向に展開されている平面」と考えられますから、おそらく球体の表面は、単純な2次元ではなく、2.36次元とか2.15次元(この数値は適当です)とかのフラクタル次元(無理数次元)になっているはずです。
こうしてみますと、2次元〜3次元の間の無理数次元は、この世界(3次元)では割と簡単に表現できるのではないかと思います。
当たり前のような結論ですが、この思考実験は何かで使えそうですね。
私なりのハウスドルフ次元の意味をまとめさせて頂きますと、
対象の図形(数学的には集合と言った方が正確かもしれません)を最も適切に計測できるハウスドルフ測度がs次元ハウスドルフ測度であるとき、その図形のハウスドルフ次元をsとする。
この「適切に計測できる」という意味は、上に述べましたように(グラフなどを使用してむしろ分かり難くなってしまったかもしれませんが...)ややこしい手順をおって説明されるものですが、端的に言ってしまえば、対象の図形を観測した時に最もピントが合っている、というようなニュアンスであろうと、私は理解しています。
例えば、2.13次元のように2次元と3次元の間の図形は、3次元体積が測れるほど中身の詰まった厚みのある図形ではないが、かといって2次元平面に押し込めるほど薄っぺらではない(やや立体的な感じで2次元体積(面積)が無限大になってしまう)図形であり、そのため、2次元平面に描くには、やはり立体的な図形を紙の上に「仮想」で描くということになると思います。
しかしながら、これまで長々と書かせて頂きながら誠に恐縮ではございますが、ハウスドルフ次元の定義では、物体(数学的には集合と呼びます)の次元を規定する前に、その物体を含む物体(集合)を予め設定しておく必要があります。
これは、2.13次元を規定するために、それより次元の高い空間を設定してしまうようなものですので、No.3899で虚空蔵55様からご指摘を頂きましたように、空間自体が明確に解明されていない現状では、不備のあるものと感じております。
再度小菅氏の「次元と認識」を参照させて頂きますが、p.46にて、
「高い次元の世界は、低い次元のあらゆる変化の可能性を含んでいる」
と仰っておられます。
例えば、p.46, p.47で、線は点の軌跡として得られ、2次元の面は線が移動した軌跡として、3次元の空間は面が移動した軌跡として得られると記述されておりますが、このように、点から初めてより低次元の空間の変化の軌跡として、帰納的に高次元の世界を表現することにすれば、上述したような不備も解消できるのでは、と思われますが、虚空蔵55様はどのように考えておられるでしょうか?
この辺りの記述はとても大事で、低い次元の構造物が動くとき、そこには「時間」が発生します(伴います)。ただ一般的には「時間」は4次元軸と思われていますが、この理屈からしますと、そうではないような気がしています。
つまり1次元であろうと2次元3次元でも「時間」は存在し、例えば1次元(線)の移動は、1次元以上の空間内で実行されますが(あなたのおっしゃる様に、逆に1次元構造体の移動が上位次元空間を創造するともいえるかも)、そうすると1次元構造物にとって「時間」は、2次元軸という事かといいますとそうでもないような気がしています(ここはまだハッキリしていません)。
そもそも1次元物体(線)の移動は、平面上だけではなく、線上(同次元上)でも3次元上でも可能ですから、時間の出現は次元に囚われていないようです。
つまり4次元は確かに0〜3、9999…次元迄の空間にとっては上位に立つものですが、それ(4次元)が「時間」かといわれると一寸違う気がします。
その世界に棲息する者にとっての単なる「上位の次元」という意味合いだけのものでしょう。
ですから次元に関わらず「時間」というものは存在しているといえるのかも知れません。
「時間」に関しましては、その他にも複雑な要素が絡んでいまして、やはり一冊の本にまとめた方がいいようです。
上の図はワークの初期の段階で月読之大神に「今はそれでいいよ」と半ば見限られていたものですが、私の中では「いつか本当の時間の正体を解明したい(出来るかも)」と思っていました。
今の私の(多分相当)低い認識では、「3.28次元というのは、3次元の世界の様々な変化を含む世界で、3.5次元、3.6次元...と次元が上昇していくことで、より自由度の高い変化が可能になっていく(未来の可能性が増えていく)」といように考えております。
以上が、虚空蔵55様から頂きました「2次元上の平面に如何にすれば2次元以上の図を描けるか」の私なりの解答になりますが、いまだに虚空蔵55様からの質問の意図を正しく理解していないのではないかという危惧があります。
私の頭の具合でお手数をお掛けすることがありましたら、大変申し訳ございません。
何かご意見・ヒントを賜れますよう、何卒よろしくお願い致します。
確かに「次元が上昇していくにしたがって自由度の高い変化が可能になっていく」というのは事実ですが、視点をちょっと変えると「認識度(次元)が上昇すると自由度が高くなる」ともいえます。
ここが数学と精神世界の接点で、おそらく量子力学をも巻き込んでいく考え方になると思います。
もう一つ、2次元平面状に2次元以上の図を描くにはどうすればよいかという命題ですが、正確に描くことは不可能ですが、頭の中で変換できるような描き方は出来ます。
それは「影(陰)をつける」というやり方で、絵画理論ではごく当たり前の手法ですが、これを使うと「立体物のように見える」という事になり、頭の中で立体変換が容易に出来ます。
「なぁんだそんな事」と思われるかも知れませんが、結構大事なところなのです。
私たちはこの世界に棲んでいて、闇や影、負のエネルギーや感情を毛嫌いしています。多くの人たちは「きれいなものだけと一生過ごしたい」「自分の気に入ったものだけ」という潜在的な願望を持っています。
しかしそれは宇宙の方向性といいますか、真実とはかけ離れた薄っぺらなエゴの主張にしか過ぎません。
何故ならこの宇宙(世界)は、その半分が陰であり、影であるからです。
負のエネルギー部分に目を背けて、3次元以上の世界を体現することは出来ないというのが真実です。
そういう意味で「2次元以上の物を2次元上に描くには、影を含まないと出来ない」という事になり、それは「影を見ることで2次元上にいながら、上位の次元を見る(知る)ことが出来る」と出来るのです。
(ハウスドルフ次元についての質問に続く質問となります。どうぞよろしくお願い致します)
[認識の構造について]
また、No.3900にて基本的には、
@下位次元の構造物は上位次元で描くことはできる。
A上位次元の構造物は、下位次元では描くことはできない。
という原則があるが、
人間が頭の中で画像(認識)変換をすることで、低次元に上位次元の構造物を描くことが出来る。
そして認識変換が出来るということは、
「人間の認識基準は棲息次元を超えてある」
或いは、
「人間の本体は3次元より上にある」
(だから人間は3次元近辺に生息していても、その世界を認識できる)
とのご回答を頂きました。私は、こちらのお言葉を、
人間は3.28次元に生息しながら、3.28次元の世界を認識している。これが可能なのは、認識基準(認識をしている存在。本体と呼んでも良い)がより高い次元にいるからである。そしてこの「本体(認識基準)」とは、虚空蔵55様の場合は遊撃手という存在であり、私の場合は守護霊(集合魂、潜在意識)であると理解しております(非公開情報12、p.86)が、このような理解でよろしかったでしょうか?
そうでもないのです。
例えば私の場合、本体は確かに遊撃手ですが、現状(薄くはなって来ていますが)肉体を支配しているのは「魔導師たち」です(私が支配されているといった方がいいかも知れません)。
更に宇宙全史では散々解説して、具体例も個人的なものもさらけ出して(非公開情報を含みますが)書いておきました。
つまり地上界の私には、魔導師、遊撃手、五井先生、月読之大神、その他諸々の存在が関わって来ています。
しかし人間「虚空蔵55」に認識作用を直接可能にしているのは、ほんの一寸上の次元にある存在です(原則ここを通して更に上位の存在たちがアクセスして来ます)。
それを魂魄体といってもいいですし、エーテル体と呼んでもいいでしょう(この辺りはあまり詳しく書いておきませんでしたが、魂魄体にしろエーテル体にしろほぼ無数の段階があります。その中でも肉体に大きな影響を与えるもの(Body)は、常に変化しており、その時の肉体の思いの状況により変わっています)。→だからこそ「祈り」は大事なのですよ。
またそこを通して私たち人間界に影響力を及ぼす上位の存在は、守護霊や集合魂でもありますが、全ての存在にとっての究極の本体は「真我」になります。
ただ真我からダイレクトに認識力が降りて来ているかといいますと、そういう事はなく、段階を通してそのエネルギーは降ろされ、階層に応じた認識力(次元)が展開されているというのが事実です。
(質疑応答11、p.179〜182にて、本体についてのご解説をして頂いており、基本的にはこちらの説明を本体(認識基準)の解説と考えております。本体とは、最終的には真我になるが、それぞれの段階により本体とするものが変わってくる。一般的には集合魂に戻ることを「本体への帰一」とする)
[時間について]
No.3899にて、
確かに「変化の記憶=時間」も一つの時間の要素ではありますが、それは時間のエントロピーの方向性を決定づける要素の一つだと考えています。
とご回答頂きました。また、以前質疑応答11、p.382にて、
時間のベクトル(不可逆性)はエントロピーの流れで規定される
とのお言葉も頂いておりました。
私には今のところこちらの内容はまだまだピンと来ておりませんが、少しだけエントロピーというものの理解が深まったような気にさせて頂きました。
ありがとうございます。
確かに時間の方向性はエントロピーの拡大方向でいいのですが、それだけではありません。
何故ならエントロピーを縮小するものがこの宇宙には混在しているからです。
それが「生命」ですが、この生命の存在が「時間」の有様をややこしくしています。おそらく生命と時間との関りが、私たちが「時間」を解明していく上で大事な要素になることが予想されます。
つまり大きな流れとしてこの宇宙はエントロピー拡大の方向性を持つ。
しかし生命はエントロピーを縮小する方向性を持つので、その確執が宇宙における様々なドラマを生むことになる。
(おそらくこの「確執」を望んでいる存在がどこかにいるはずです)
ただ生命はエントロピーを縮小しますが、例外的に人間などエゴを持つ存在は、「怠惰」「傲慢」「愚かさ」などの形質により、生命の基本路線を外れ、エントロピー拡大を助長することがある、ということがあります。
色々複雑ですが、このような要素が絡み合い、この宇宙の最終実験場で、最終シーンが演じられ、撮られているのです。
質疑応答11、p.381, 382では、
「エントロピーという概念が「生命」というものの在り様を、そのまま現わしていると見ることが出来ることです」
「宇宙は基本的にエントロピーを拡大していく方向で動いている」
「しかしエントロピーを逆流させるものが唯一生命である」
とのお言葉がありましたが、こちらの記述から宇宙全史1、p.109のJUMU科学班の方のお言葉
「細胞に始まり細胞に終わるのか」
や、同p.109の
「地球生命の最終進化形が単細胞という事は間違いないようです」
を思い出しました。基本的にエントロピーを拡大させる方向で動いている宇宙において、多様性(複雑さ)を拡大してきた地球の流れがあると思いますが、その地球において生命の最終進化形が単細胞というのは意外な感じがありました。
しかし、生命というものが唯一エントロピーを逆流させるという作用を持つという事から、その最終進化形が単細胞というのもやはり生命の持つ特徴(要請?)のような気が致しました。
時間のエントロピーの方向性とは、一般的に言われる「過去から未来へ時間が流れている」というようなニュアンスを感じ取りましたが(このような理解でよろしかったでしょうか?)、この過去から未来へというのが、単純な形態から複雑な形態への移行といった理解になるのでしょうか?
また、「変化の記憶=時間」という等式が時間のエントロピーの方向性を決定づける要素の一つであるというお言葉については、変化することでより複雑な形態へ移行していき、その変化の記憶の積み重ねによって時間が流れているように感じる(そのように時間のベクトルの向き(流れ)が定まっている)と理解しました。
エントロピーの物理的、数学的な定義をよく知らないのであれなんですが、エントロピーの拡大は「単純な形から複雑な形への移行」というのではなく(それも部分的にはありますが)、おそらく「確率的に拡散していく方向」といういい方でどうでしょうか。
つまり「あまりない状態から、よくある状態への移行」とでもいうのでしょうか、そのパターンの一つが「単純な形態から複雑な形態への移行」でもあります(この言い方には逆のパターンもあります)。
時間の流れの方向を規定するものとして一つは私たちの「記憶の積み重ね」という構造があります。
私たちの脳内では、古い記憶(出来事)から順に積み重ねられていきますから、自ずと時間が過去から未来へと流れている印象を私たちに与えます。
また未来に関して私たちは想像するしかないわけですから、既にある記憶の積み重ねという「もうどうやっても変化の余地のないもの」とは異なり、現状未来は「想像するもの」ですから、一定の可能性を有するものとして存在します。
ただこれは時間の流れや過去、未来の単純な考え方に過ぎません。
実際に「時間」に取り組むには、まだまだエネルギーが必要な案件が隠されているような気がします。
虚空蔵55様はこのようなニュアンスの事を仰っておられたのでしょうか?或いは、全くの見当はずれでありましょうか?
ご指導を賜れますよう、どうぞよろしくお願い致します。
まだまだ曖昧な理解であり、数学的な理解には程遠い状況でありますが、微力ながらもいつか虚空蔵55様のお力になれるところまで進んで行ければとても嬉しいことでございます(嬉しいどころか、本望でございます)。
がんばっていきたいと思います。
[小菅理論のバグについて]
小菅正三氏著「次元と認識」に関しましては、その中でまだ解明されていない世界構想が残されているとのお言葉、大変参考になりました。
特に、情に関して教えて頂いた内容に関しては、よくよく理解しておきたいと思います。また小菅理論において、第4次元の心が認識に、第5次元のこころが意志・判断に、第6次元の「こころ」が情動に係るという部分に関しては、既に宇宙全史の中で大まかに解説した部分があるとのことでございますので、じっくりと探していきたいと思います(未だに見つけられておりません、申し訳ございません)。
がんばります。
「心というものは第4次元の心、第5次元のこころ、第6次元の「こころ」とあり、第4次元の心が認識に、第5次元のこころが意志・判断に、第6次元の「こころ」が情動に係るものと仰っております(次元と認識p.144,145)」
この部分は私の方にも誤解がありました。
小菅さんの書いておられる事は概ね正しいのですが、4次元が認識、5次元が意志・判断、6次元がこころというように割り切れるものではありません。
4次元といいますか魂魄体は確かにこの現象界への最前線での認識作用を起こす所ではありますが、それを4次元と限定してしまうのは違います。
また5次元が意志・判断となっていますが、正確には「魂魄体上位の存在によるコントロール」といった感じです。5次元限定とはしない方がいいでしょう。
6次元の情動に関わる心というのもちょっと怪しくて、この辺りは慈悲に近い「共感」でしょうか。
ただ阿頼耶識界(6次元)にある集合魂によっては、慈悲よりも同情に近い思いを持つものもいますので、一概にはいえないかも知れません。
情動は主に魂魄体〜霊体辺りで発揮される「思い」です。
(小菅理論のバグについての質問に続く質問となります。どうぞよろしくお願い致します)
[オーム宇宙の穴について]
No.3899にて、オーム宇宙の構造は「リーマン面に穴が4つ」空いた構造でしょうか?と質問をさせて頂きました。しかしながら、左側回答・メッセージNo.424にて、
銀河の中心にホワイトホールがあり、そこから莫大なエネルギーが放出されている(流入している)。
そして、
あちこちからこの宇宙にはエネルギーが流入しているのが現状です。
とのご回答がありました。私はリーマン球面に穴4つ構造を考察していた際に、この穴はブラックホールやホワイトホールであると考えておりまして、以前No.3875にて、BHは、
別宇宙とつながるトンネルのようなものと考えた方が近いでしょう(それだけではないのですが)
とのご回答を頂いておりましたので、オーム宇宙には穴が4つどころかもっとたくさんあると理解しました。
或いは、質疑応答14、p.314にて、
銀河の中心にホワイトホールがあると申し上げましたが、詳しく調べますとホワイトホールではなく「正のエネルギーを放出する領域」でした。
ブラックホールとホワイトホールはまた別にこの宇宙に存在していますが...
とありますので、ホワイトホールやブラックホールはそこまで多くあるという訳ではないのでしょうか?
宇宙全史1、p.97〜p.99の太陽系創造にて、
ほぼ今の太陽の位置に最初にホワイトホールを出現させ、そこから他の世界から集めた物質を放出し...(ホワイトホールとは空間に開いた穴のような存在で、穴の先は私たちの宇宙とは別の世界...)
や、
太陽が核融合を始めた瞬間ホワイトホールは撤収されています
とのお言葉がありましたので、ホワイトホールやブラックホールはある程度数が決まっていて(これが4つだとありがたいのですが、事実はそんなに上手くいくものではないような気がします。いずれにしましても、今はみわ様が大変な状況にあるとのことでありますので、しっかりとお祈りを続け、時期を待ちたいと思います)、必要があればオーム宇宙のどこかに移動する構造であるということでしょうか?
BH(ブラックホール)、WH(ホワイトホール)はオーム宇宙内だけでも、ほぼ無数存在しています。
非常に巨大なものから極小のものまで含めますと「ほぼ無数」です。
スーザンさんが仰っている4つ限定の穴は、また別な案件に該当するものではないでしょうか。
これらの穴の存在意義は様々で、現状人類が知ることが出来るのは「他の世界、他の宇宙(或いは世界)とのトンネル・輸送路」といったところです
[螺子輪宝宇宙について]
螺子輪宝宇宙に関しましても、疑問は尽きません。No.3899にて、
私たちの宇宙(オーム宇宙)は、ほぼ無数ある同じような宇宙の集合体「螺子輪宝(ねじりんぼう)宇宙」の一粒に過ぎません。
この螺子輪宝宇宙は人類が想像すら出来ないような巨大さで、その一粒一粒の宇宙が明滅しながら(盛衰を繰り返しながら)全体がねじれて回転しています。
その回転音は荘厳で畏怖すら覚えるほどのものですが、おそらく人類にはそれを聞くことも想像することも叶わないでしょう。
とのご回答を頂きました。こちらのお言葉から、螺子輪宝宇宙の基本的な構造として、ねじれて回転しているということがあり、螺子輪宝宇宙の名前の由来もこの構造から来ているものと推察致しますが、ねじれて回転しているというのは、このような巨大な構造体に関して、良くあることなのでしょうか?
真我から原初の顕現に対する何らかの要請として、ねじれて回転しているという構造が必要なのか、或いは、単に好んで(?)そのような構造になっているのでございましょうか?
現状その回答は得られていません。
逆にあなたが何故そこまで「ねじれ」に興味があるのか不思議です。
左のNo.424にて、
螺子輪宝宇宙のような巨大構造は、おそらく無限に近く存在します
とのご回答がありましたが、螺子輪宝宇宙とは異なる巨大構造においてもねじれて回転しているという構造が共通してあるものなのか疑問に感じました。
また、螺子輪宝宇宙を構成している各宇宙が明滅を繰り返しているという部分に関しましても、なるほどと過ぎ去ってしまいそうになりましたが、ブドウの房の一粒一粒にすぎない各宇宙においてすら、その盛衰を語ろうとすると、とてつもない物語になるものと想像されます。
質疑応答11、p.455〜p.456にて
オーム宇宙は前の宇宙のクズの塊から始まっているのです
とのお言葉がありましたが、これは、今回の64回目の宇宙は、63回目の宇宙のクズの塊から始まり、63回目の宇宙は62回目の宇宙のクズの塊から始まり...2回目の宇宙は1回目の宇宙のクズの塊から始まりと遡っていくことが出来るという意味だと理解しましたが、それでは、1回目の宇宙は何からどのように始まっているのか、とても興味深く感じております。
一回目のサイクルの源は、前の宇宙(一番近しい宇宙だったもの)が持ち越した因子や、全く別な宇宙(繋がりのなかったもの)からでも、関連性のある因子や螺子輪宝宇宙全体で解消すべきものを分担するという事もあります。
追補:一つの宇宙が成就するか破滅するか、或いはその途中で終息したかは分かりませんが、終わった宇宙は、すべからく一定の休眠状態に入ります。その後どうなるかはそれぞれですが、いずれにしても終焉の時に完全成就というのはほぼないので、何かしらの課題を持ったままになっています。その課題の一部を新しく出来る宇宙が受け持つといいますか、それを因の一部として新たな創造を始めることになります。
上記した「一番近しい宇宙」とは、休眠状態に入った各々の宇宙はどれもほぼ同格なのですが、中でも似たような経験や課題を持つ宇宙をいいます。
この宇宙の転生は、人間の集合魂における転生輪廻と似ているものになります。
また、さらに視野を広げて、螺子輪宝宇宙自身も現在何回目かのサイクルにあるものなのか、そうだとすると、オーム宇宙のように、ひとつ前のクズの塊から始まってというサイクルがあるものなのか、そもそも螺子輪宝宇宙最初の顕現は何故どのようにして始まったものなのか気になるところでございます。
ただ、ここまで来ると私のキャパを超えて、危険な香りがただよってくる気がします。
螺子輪宝宇宙も転生輪廻を持ちます。
そもそも螺子輪宝宇宙の源は「真我」になります。
No.3899にて触れて頂きました一つ目の当り前について(これも当たり前のことで、人は誰しも生きている限り様々な欲望に振り回され、人間関係の摩擦で消耗していきます)や、オーム宇宙の存在理由等に関しましても、大変興味深いところがありますが、その本当の解答は、現状様々な欲望に振り回されいる私には、厳しいものになりそうな気がします。
日々永遠と向き合っておられる虚空蔵55様(遊撃手)という存在の稀有さが際立って感じられます。
私がその段階まで進めるものか、現状では遠い道のりに感じられますが、月読之大神と五井先生のお導きに何とかしがみついていく腹は決めようと思います。
この先様々なハードルが待ち受けているものと思いますが、月読之大神と五井先生のお導きを信じ、その一つ一つを挑戦と受け取りつつ、楽しんでしまえるような精神を培っていきたいと思います。
月読之大神、五井先生、虚空蔵55様、遊撃手の皆様、みわ様、アンドロメダの皆様、いつもありがとうございます。
どうぞよろしくお願い致します。
[究極の存在について]
No.3899にて、螺子輪宝宇宙の上下端には、螺子輪宝宇宙を支配(管理)する存在がいると教えて頂きました。
螺子輪宝宇宙を管理する存在ということは、真我に非常に近接した領域にある存在と考えてしまいますが、このような表現はズレているものでありましょうか?
余りこの存在の詳細は知らされていません。
以前も書きましたが人間の延長のような存在ではなく、管理者としてのシステムのようなものと聞かされています(AI管理という所でしょうか)。
いつかもう少し調べてみたいと思います。
また、螺子輪宝宇宙を支配(管理)する存在ということは、私から見ると相当に自由な境涯にあると感じられますが、逆に螺子輪宝宇宙を管理するということは大変な苦を伴う作業になるのでしょうか?
左側のNo.424にて、螺子輪宝宇宙の因果律の管理者に関しても言及されておりましたが、螺子輪宝宇宙を支配(管理)する存在というのもまた螺子輪宝宇宙の因果律の管理下にあるという認識でよろしいのでしょうか?
もし、そうであるならば、真我の数歩手前ぐらいに感じられる螺子輪宝宇宙を支配(管理)する存在というのは、(螺子輪宝宇宙の因果律の管理下にあるという事実に違和感を感じ)真我へ向かという選択をなさらないものなのか、疑問に思いました。
難しい質問ですね。
その疑問はもっとですが、どうもそういう願望というか、完全覚醒を望むという事はないようです。
天之御中主之大神や月読之大神などの宇宙神とはまた異なるようです(この方たちもまだまだ解明されていない存在なのですが)。
(この辺りは100万円の本の中で語られると思います)
質問は以上になります。大変長々と文章を書き連ねてしまい、申し訳ございません。
私程度の存在が螺子輪宝宇宙の構造について質問出来るという有り得ない、稀有な状況を頂き、その喜びから大いに筆が滑ってしまいました。
私たちの認識次元がどんなに変化しても対応できる宇宙は存在するが、桁外れに進化して対応できる宇宙がない場合は、この螺子輪宝宇宙にはいられなくなり、「離脱」せざるを得ない。そして、その行く先は一つしかなく「真我(実存)」になる。
とのお言葉をNo.3899にて頂きました。この情報は私にはあまりにも、あまりにも程遠いものでございますが、それでもいつの日か螺子輪宝宇宙を管理する存在や、螺子輪宝宇宙の因果律の管理者を前にしても平静さを失わず、その先の領域に目が向けられる時が訪れるよう、日々エゴを薄くし、腹を作り、探求に向かって行きたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
本日も大変ありがとうございました。
2020・2・23
スーザンさんからの質問にお答えしていると、自分の中でもスッキリしていなかった部分が見えてくる事があります。
特に時間に関しては本を仕上げられるまでに認識が整ったようです。
(実は本にするといっておきながら、あと一歩のところで足踏みしていました。しかし能天気な私ですから「何とかなる」といういつも通りのスタンスでおりました)
おそらくその時間の本は、これまで人類が手にしたことのない「時間」の解読書になるでしょうが、しかし誰が理解できるでしょうか。
やはりそこでは「宇宙全史」というワークを徹底的に学んでいないと、難しいといいますか、不可能なような気がします。
私にとって「時間」と「空間」の解明は、とても大事な探求要素でした。
それは「真我」やその上位に来るものの探求とはまた別なものになりますが、「現れの世界」にある私たちにとっては、「枷を明らかにする」=「枷を取る」という意味でも重要課題になっているはずです。
何故なら私たちは「時間」と「空間」という枠で形づくられた世界に閉じ込められて生きる生命体です。
「閉じ込められて」ということは、「時間」と「空間」が「枷(かせ)」となっているのです。
何度もいいますが、その枷の本質を理解するという事は、その枷を外すという事なのです。
「何故閉じ込められているのか」という議論はまた別のお話しになりますが、とりあえずはその正確な構造を明らかにすることで、私たちの生き方を含む考え方や目指す方向が明確になって来るでしょう。
今年中に出るであろうその時間の本の帯には、
「時間は存在しなかった」
おそらくそう書かれているはずです。
スーザンさんのおかげで久々に頭のストレッチが出来ました。
やっぱり純粋な「探求」というのはプロでも素人でも楽しいものです。
今回のワークの延長で、もう少し掘り下げるとかなり深い量子系の理屈が掘り起こせるかも知れません。
本来量子力学というのは(相対性理論あたりから既に始まっているのですが)、人間の「認識」や「意識」「感覚」というものを数式化していくものなのです。
実際そうなっているのですが、頭の固い学者さんたちは、その現実が見えないため、色々苦労されているようです。
しかしそれも学びなのでしょう。
上でも書きましたが、時間と空間はこの地球に棲息する私たち人類を拘束するための「枷(かせ)でした。
そこには拘束されなければならない理由もありますが、それ以上の私たちのあずかり知らない訳も厳然としてあったのです。
私に残された時間もあと僅かです。
みわはもう少し短いようです。
それはつまり、はあなた方に残された時間も、それほど余裕はないという事です。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
五井先生
月読之大神
有難うございます