HOT・Bは1983年から1993年にかけて活動した日本のゲームメーカーである。広告代理店という出自を生かした個性的な作品を数々リリースし、近年ではファミコンソフト「星をみるひと」がNintendo Switchで復刻されて話題となった。本稿はこのHOT・Bの製作を深掘りし、その視点からゲーム史の進展をたどろうとするものである。
奇しくも今年2023年はHOT・B創立40周年、そして倒産30周年。この記念すべき年、かつて果敢にゲーム業界の海原を渡ったこのメーカーの航路に思いを馳せ、共に語り合おうではないか。今回はHOT・B晩年の傑作「鋼鉄帝国」!
前回と前々回はHOT・Bのメガドライブソフト「火激」「インセクターX」をとりあげた。外注先の失敗が尾を引いて痛手を負った「火激」、コミカルタッチのアーケード版から転じ、当初のリアル路線を復活させた「インセクターX」。
この「鋼鉄帝国」もまたメガドライブソフトとして、1992年3月13日にリリースされた横スクロールシューティングゲームである。
企画・開発から販売までHOT・Bが手掛け、企画・エグゼクティブプロデューサーには同社のエース栗山潤、グラフィックは主にキャラクターを初山諭、主に背景を西健介が担当した。ディレクター及びプログラムは山口昇、コ・ディレクターに佐武義訓、最後の3カ月、プロデューサーとして朝長彰教が加わった。また外注でプログラマー遠藤ヨシヒロが参加した。遠藤はHOT・B開発セガ発売の「クラックダウン」でも腕をふるっている。音楽は株式会社CUBE。
この1992年のゲーム業界を眺めると、直前の1月にスーパーファミコン「ロマンシングサ・ガ」が発売されている。4月にゲームボーイの名作「星のカービィ」。ライトユーザーにも訴求するデザインとゲームバランスで人気を博した。9月はあの「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」、12月に「ファイナルファンタジーV」。アーケードでは「ストリートファイターII」人気が社会現象化し、格闘ゲームの熱気が高まった。
「鋼鉄帝国」はこうした世界とはいささか趣を異にしている。立ち上げるとカタカタと映写機の音が響き、古いシネマのクレジットが浮かび上がる。どこか懐かしい飛行船のような戦闘機がセピアの空を果敢に飛んでゆく。レトロな未来が広がっている。
タイトルデモ画面中に楽譜が流れる。
「鋼鉄帝国」の魅力としてしばしば指摘される点に、まずは世界観の秀逸さがある。
この作品はドイツ文学の名作「STEEL EMPIRE」の映画化作品という設定のもと、古い映画仕立てでスタートする。添付のマニュアルは映画のパンフレットのように架空の映画評論家の解説やプロダクションノートという撮影秘話を載せ、末尾に映画のクレジットを模したスタッフ一覧が入っている。マニュアルに凝りたいというのはグラフィック初谷の提案であり、初谷は文学全集の装幀めいた赤い皮革模様や、中のキャライラストも手掛けている。プロダクションノートは朝長の提案。みずから叩き台を作成した。
ストーリーを駆け足で紹介しよう。
18××年、軍事国家モーターヘッド帝国は、諸国を侵略し、今しも全世界を手中におさめようとしていた。ここに勇猛なシルバーヘッド共和国が立ち上がる。プレイヤーは敏捷な鳥型戦闘機エトピリカと高い爆撃能力をもつ小型戦闘艇ゼッペロンを乗り分け、素粒子吸収発雷爆弾イマミオサンダーを切り札に巨大な帝国へと挑んでゆく。
まずは鉱山都市奪還をめぐる戦い、次いでモーターヘッドの力の象徴たる「浮遊城」の攻略、帝都ダムドへの突入と続き、ついに母艦を失ったプレイヤーは単機孤軍奮闘する。最後、敵の秘密兵器として発射された謎の巨大弾頭を追って宇宙へ飛ぶプレイヤー。地球外の地で最終決戦が始まる。
作品のコンセプトは「鉄板・ボルト・蒸気機関・プロペラ」。産業革命時代のテクノロジーによる未来の夢想は、主に80~90年代、スチームパンクという名を冠されて、SFの一ジャンルに定着した。
この企画を立てた栗山潤は、SF作家志望の少年期を過ごした真正のSF狂であり、名作映画「メトロポリス」などから機械都市の幻像に憑かれていた。スチームパンク以前より蒸気への夢想も強く、プレイヤーが最終的に宇宙へ飛び出す展開にこの時代のSFの旗手ジュール・ヴェルヌ「月世界旅行」へのオマージュを込めた。世界観、全体のイメージ、ラストを含めて作品を物語仕立てにする構想は、すでに企画段階で決定していた。
こうした栗山の意向を受け、この作品では若手がめざましい活躍をみせた。
当時この手の形象は決して身近でなく、日本では1986年「天空の城ラピュタ」が目につく程度であったが、キャラクター担当の初谷は、図書館で第一次世界大戦当時の資料を渉猟し、数々の戦機を造型した。また背景担当の西は、見事な浮遊城や母艦、ロケットボスなども描き、エンディングのスタッフロールでも冴えを見せた。音楽担当のCUBEを「CUBE STEREO」としてドルビーサラウンドのロゴめいた意匠で包んだのは西の発案である。
佐武はゲームの進行やレベルアップのシステムを担当した。冒頭、タイトルの下に楽譜を置いたのは佐武の発案であった。初期の映画は無声のため画面にテーマ曲を楽譜で置き、楽団はそれを見ながら演奏したのである。こうした若手のセンスはさまざまな場面で発揮され、プレイヤーを物語世界にいざなう役割を果たした。
自機攻撃力を設定したコード表の一部。
以上の世界観とともに、多くの者が口を揃える「鋼鉄帝国」の魅力は、なんといってもその抜群の遊びやすさであった。
そもそも本作の採用した横スクロールシューティングゲームを、HOT・Bはすでに「インセクターX」、及びこれとシステムを同じくする「中華大仙」で経験している。
だがこれら先行2作と「鋼鉄帝国」の大きな違いは、難易度を低めに設定し、プレイヤーの物語世界への没頭を優先させた点にあった。
まずは自機に体力が設定され、1、2発攻撃を受けただけではミスにならない。また、体力がゼロになっても残機がある限り復帰可能で、それまでのパワーアップを引き継いで続行できた。パワーアップも数段階を踏んで強化され、ライトユーザーでもRPGのようにレベルを上げて難関を攻略することが可能であった。また、切り替え操作なしで前後に弾を撃ち分けられる点もユーザー体験を快適にした。
シルバーヘッドの爆弾イマミオサンダーも難易度の調整に貢献した。イマミオサンダーは一撃必殺、画面内の敵を一掃するすぐれた武器だが、敵を弾ごと消すなど防御や回避の手段としても有効であり、シューティングゲーム特有の難しさを緩和した。
もっともこうした設定にスタッフ間で異論がなかったわけではない。レベル設定は主に佐武が担っていたが、プログラマーの一人はこれに納得いかず、マスターアップ直前にこっそりと敵の体力を2倍にして難易度を急上昇させ、テストプレイで発見されるというトラブルもあった。若手はしばしば激論を戦わせ合いながら、作品世界をつくりあげていった。
なお、2面で鉱山の坑道に入る画面の斜めスクロールや、敵ボス撃破後崩壊するステージを高速で逆走して脱出する場面で佐武のアイデアを実装させたのは遠藤の手腕である。
同じ敵でもMD版(上)とGBA版(下)でデザインが異なる。
1992年の発売当時「鋼鉄帝国」は格別の売れ行きを示したわけではなかった。だがその魅力はユーザーを惹きつけ、いつしか作品はスチームパンクの名作として根強い支持を受けていた。
この風潮をとらえ、1993年、HOT・B商品開発部の豊田は、「鋼鉄帝国」をアーケードゲームにリメイクする「鉄騎帝国」(仮題)の企画を提出した。横スクロールシューティングを縦スクロールに変更し、一撃で撃墜される方式を取り入れて、インカム率を上げる難易度の上昇が図られている。また、ふたり同時にプレイできるように、エトペリカとゼッペロンが同じ空を飛ぶ構想もあった。
同年10月11日には「鋼鉄帝国2」(仮題)のタイトルで、総ページ数22ページのさらに進化した企画書が提出される。「よりレトロに、メカニカルに」とのキャッチフレーズを掲げたこの企画書には、同社のグラフィックリーダー木下亮による新たな敵キャラ、数々の装甲車など、見事なイラストが多く載せられている。
だが残念ながらこの企画は実現されなかった。このときすでに経営状態が悪化していたHOT・Bは、新作ゲームの発売を急ぐため、先行して取り組んでいたスーパーファミコン用RPG「バズー!魔法世界」とアーケード向け格闘ゲーム「シュマイザーロボ」の2作に注力することを選択したのである。
こうして凍結を余儀なくされた「鋼鉄帝国2」であったが、HOT・Bの倒産後、後継会社スターフィッシュは、2004年、ゲームボーイアドバンス用で「鋼鉄帝国frоm HOT・B」をリメイクした。権利面の考慮もあってデザインは一部変更されたが、映画仕立ての世界観を受け継いで、「時を経たマスターフィルムの劣化のため新規に練り直した新作映画」として発表されている。なお、頓挫した「鋼鉄帝国2」の企画書で木下の描いたイラストは、このゲームボーイアドバンス版公式ページや説明書などで活用された。
2014年、メビウスがNintendo3DS用タイトル「鋼鉄帝国 STEELEMPIRE fоr 3DS」を発売。3Dの立体視によって臨場感を増した完全リメイクである。翌2017年には3DS版をベースにWindows用タイトル「鋼鉄帝国 STEEL EMPIRE」が発売され、グラフィック、音楽ともに高解像度になった。
さらにメビウスは、2023年4月、Nintendo Switchでの「鋼鉄帝国 STEEL EMPIREクロニクル」の開発を発表した。ここには「鋼鉄帝国」のほかに「オーバーホライゾン」の収録も予告されている。
「鋼鉄帝国」の企画・エグゼクティブプロデューサー栗山潤は、いま、当時をふりかえって、あの作品は自身のターニングポイントであったと語る。
それまで自分で全て背負うのを是としてきた栗山は、この作品で初めて若手を信じて任せ、そこに大きな手ごたえを感じたのである。
また、そもそもこの作品がメガドライブのシューティングゲームとして開発された背景には、栗山自身の特別な自覚があった。従来HOT・Bは企画人の発想のままその都度ジャンルを変えてきたが、栗山はここで意識的に社の技術的資産の積み上げを図ったのだ。「鋼鉄帝国」は「中華大仙」「インセクターX」で得たシューティングゲームのノウハウとメガドライブ開発の知見という、同社の経験を統合するプロジェクトとして立ち上げられた。そこに若手の個々のセンスが加わって、無二の作品世界がつくり出された。
1992年、栗山はメガドライブ「鋼鉄帝国」の完成を見ることなくHOT・Bを退職した。1983年、沖中日出光企画「サイキックシティ」のシナリオで日本初SFRPGの誕生に寄与した栗山は、HOT・Bでの最後の仕事となったこの「鋼鉄帝国」で、これも日本初のスチームパンクシューティングゲームを誕生させたのだった。折しも1992年の流行語は「就職氷河期」。バブルが崩れ、楼閣を建てつづける時代が終わりを告げていた。その日本でつくられた「鋼鉄帝国」の、過去が夢みたレトロな未来のすがたは、甘美な懐かしさを伴って今なおわれわれを捉えるのである。
次回は「鋼鉄帝国」増補編。グラフィック陣の証言をもとに、このスチームパンクの魅惑的なビジュアル面を深掘りし、その詳細にせまりたい。
鋼鉄帝国2企画書表紙
鋼鉄帝国2企画書画面