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上村一夫・零れた花びら

森田敏也


上村一夫の作品には単行本に未収録のものが多い。短編はもちろんのこと、長編作品にもそれが言える。「修羅雪姫」や「しなの川」は、それぞれ半分しか単行本化されていないし、「離婚倶楽部」は4分の3を、「紅とかげ」は7分の6を残して未だに第2巻がでていない。もちろん、それぞれそれなりに理由があるのだろうが、ここでは2例を考えてみたい。

 まず第1作目は「マンション・ブルース」。
この作品は’71年9月から1年間、プレイコミックにほぼ月1回、10回に渡って掲載された連作シリーズで、 その後’79年8月になって秋田漫画文庫で単行本化されている。この本にはうち9本が収められ、 連載第1回(’71年9月25日号掲載分)が未収録となっている。

 「マンション・ブルース」は、同時期にヤングコミックに連載の「怨獄紅」と同様、女の性に対する情念を深く掘り下げたシリーズで、 日本人声楽家に見染められ、来日して結婚したイタリア人女性が、夫に裏切られて捨てられたあげく、子供を殺すという話(Vol.2「イタリア製乳母車」)や、戦争に子供を奪われた老女が1組の若い男女を囲って関係を持たせ、それを覗き見させるスナックをやって生き抜く話(Vol.5「オールド・ポルノ」)など、多彩な女の姿が描かれている。

 問題の第1回(サブタイトルなし)。戦争成金の妾となって幼い頃の焼け跡の苦い記憶を忘れようとする女と、その彼女に拾われた、学生運動に挫折した若い男。その2人が人生をやり直そうと夢見るのだが、女はためらい、今までどおりの世界に留まろうとする。若い男は雨の中、女のマンションを後にするが、女は自分の部屋の外に広がる荒野に幼い自分の幻影を見、その場所、マンションの8階のベランダから飛ぶ。

 このような1人の女性の「戦後」の悲しさを描いた小編だが、他の「マンション・ブルース」の9編に比べると、女の内面、ここでは、なぜ新しい人生へと目指すことを恐れるのかという点の描かれ方が弱く、分かりにくい。なぜこの話だけが単行本から漏れたのか。推測するに2つの点が考えられる。

 まず第1点。
このように連載作品の一部が単行本に未収録になる場合、その内容に社会的な問題があることが、まず疑われる。今回の場合、テーマが戦争であり、戦争成金に与えられた女のマンションの部屋の壁には日章旗が掲げられている。それを背に若い男が「亡びた国旗」と叫ぶシーンがある。ここでは、この日の丸は陸式南部拳銃や鉄カブトと並んで、悪しき戦前の軍国主義の象徴として描かれている。かのセリフはそれに対する発言なのだが、これは別段、問題にならないだろう。

 第2点目。
この「マンション・ブルース」が刊行されたのは秋田書店の秋田漫画文庫だが、 これが実はくせ者で、長編作品を発売するにあたって、完全収録しないことが多いので有名なブランドだ。
例えば上村一夫作品に限っても、「修羅雪姫」や「紅とかげ」は先に述べたとおりであり、他の作家においても同傾向だ。(厚冊の単行本で18冊にも上るあの「御用牙」が秋田漫画文庫だと僅か2冊しか刊行されていない。)しかも、このブランドは1冊あたりのヴォリュームが220頁前後に決められており、そのような編集方針だったとすると、9話分で210頁を超すこの「マンション・ブルース」も1話分がカットされざるを得なかったのではないだろうか。そうなると内容的にやや弱いこの第1話がその1本に選ばれたと考えられないでもない。
 2つ目に取り挙げたいのが「凍鶴」。
この作品は、ビッグコミックに’74年12月から’80年2月まで断続的に前16回掲載されたもので、主人公はつると呼ばれる少女。 彼女が昭和初期の置屋の仕込っ子から花柳界に名を残す美しい芸者になるまでの半生を描いた上村一夫中期の代表作だ。 単行本は’92年3月に、そしてその文庫化が’96年9月にされており、全16回のうち2回が共に未収録である。
これらの本はいずれも350頁強の分厚いもので、2話分がこれに収められなかったというのは、 やはりスペースがないという物理的事情なのかもしれないが、ここではその内容の面から未収録の理由を穿ってみようと思う。
まずは、その2本のうちの1本、第8話(’77年3月10日号掲載)。姐さん芸者の意地悪で、 三味の弦を切る悪戯をしたと誤解された少女つるが、その冤罪の代償に女将から夕方までの暇と小遣いを貰う。
しかし、遊びに出た街で出会った紙芝居屋のおじさんに乱暴されてしまう。
夜になって戻ってきた置屋で昼の出来事を女将に気付かれて折檻されるが、つるは決して犯人の正体を口に出さなかった。 というのも、「相手の身になって挙げれば、憎しみなんか湧かない。自分さえ我慢すれば、世の中丸く納まる」というのが彼女の生き方だからだ。とてもショッキングな話である。幼いうちから花柳界に売られ、その厳しい世界に耐えながら懸命に生きてきた少女が、目も当てられない酷い目にあうのだが。それまで、つるの健気でひたむきな生き様に心を打たれてきた読者は胸を痛める出来事だ。
 もう1本は第13話(’78年12月10日号掲載)。今や立派な名妓成長したつる。 彼女はお座敷での明るさが売り物であったが、最近なぜか私生活では陰りを見せるようになる。 そんな彼女が書道教室で、芸者菊奴と出会う。 彼女は、つると素性が似たもの同士で、東京の芸者に三味の腕を見込まれて花柳界へつれてこられたというが、 そんな彼女につるは、作り物の明るさはぎこちなく、すぐにそのメッキは剥げるのだと説く。
芸者だって人間であり、暗い日もあれば明るい夜もある。つるは菊奴に話すふりをして自分に言い聞かせているのだった。
「凍鶴」が単行本化されたのが’92年3月で、上村一夫が亡くなったのが1月だから、彼の死後初めて本にまとめられたことになる。
つまり、そこに、収録話の選択に、上村の意志は反映されていない。
遺族や編集者たちによって作られた本ということになる。
上村の生前、’82年9月と’84年7月に発売されたビッグコミックポケッツという総集編的雑誌にそれぞれ「凍鶴」が再録された時は、 この2話とも漏れなく収録されているのだから、それ以降にこの2話が問題に挙げられたのだ。

 考えられる理由として、某連続幼女誘拐殺害事件以後、幼少女を対象とした性犯罪ものが規制、あるいは自主規制されてきているわけだから、この第8話は本になる際につままれたのかもしれない。また、芸者は身請けが決まり初床を迎えるまできれいな身体でいるという決まりがあり、この第8話があると、以後の話の辻褄が合わなくなることに、単行本用の編集をしている時に気付いたのかもしれない。しかし、第13話にそれらしい理由は見つからない。

 小さい頃から花柳界で強かに生きてきたつるの人間性や芸者観がよく表れたエピソードの1つとして、今では読者の眼に触れることができなくなっているのは、非常に惜しいことである。天上の上村一夫果たしてどう思っているだろうか。