これは右のNo1545に対する回答です
始めにお断りしておきますが、私はこれまでに一度たりとも「私の教えに従いなさい」とか「私のいうことが一番正しい」「いうとおりにしていれば救われる」というようなことはいっておりません。
それどころか「私は救世主ではない」と主張してきたはずです。
ただどうも(私の意に反して)そういう立場に追い込まれつつあるのかもという感じはあるのですが、それは私にはとても荷が重いのです。
その理由を書いておきます。
@最大の理由は覚醒していない
Aそのため皆さんを救う力がない(自分で手いっぱい)
Bそもそも私の集合魂は、そういうふうに出来ていない
大体この3つが主な理由ですが、このBがいかにも怪しいのです。
それが非公開情報5でずいぶん明らかになりましたが、それでも地球人類の歴史開闢(かいびゃく)以来、裏舞台を司ってきた私たちですから、まだまだ未知の部分が隠されているような気がします。
そして現状では(この先もですが)皆さま(私も含めてですが)の行き着くべきところ、その手段、その在り様を五井先生という方にお任せすることにしたのです。
非公開情報5では月読の大神から「いわゆるあなたたちの表明する邪悪という感覚・・・その一部を請け負ってもらっている」というお言葉がありました。
「邪悪」にも色々あるのですが、私たちの請け負った邪悪は、
愚かなもの・愚かなこと・愚かな人に対する憎しみ(のようなもの)を突き詰めて、あぶり出していくことが使命であり、その在り様を「邪悪」と表明されています。
世間でいわれている善悪の悪を憎むという事は、世間の都合で造られた・・・あるいは自分たちの都合のいいようにカテゴライズされた悪を、自分たちの都合のいい形で排除するものですが、実際には絶対的な悪や善は存在しません。
この善悪の問題は、以前からここで色んな方がご意見をお寄せいただいていましたが、実際にはかなり難しい概念で「宇宙全史」第二巻のマレーネデートリッヒの章で明らかにされていきます。
やはりそれは単純な相対論というよりは、今回の宇宙(64回目ですが)における一つのテーマの根幹にかかわる要素でもあったのです。
ここではわかりやすく申し上げてしまいますが、世の中には善悪というものは本来存在せず、もし悪と見えるものがあるとするならば、それを私たち集合魂は「愚かさ」と呼称します。
実は悪は愚かさでさえもないのですが、人間の内にも外にも敵があるとするのなら、それはまさに世界の愚かさであり、自らの愚かさでもあるのです。
なぜ私たち集合魂が世界の愚かさを憎むことが「邪悪」と表明されるのかといいますと、私たちはすべての愚かさを徹底的に暴き出し、人々の前にそれを突き付けます。
その容赦ないやり方は、現代人(特に今の日本人)の好む「なあなあ感」からはけた外れに隔離したものに感じられるはずです。
だからその在り様をご覧になって「情がない」「人でなし」「人間じゃない」等の評価を頂くことになります。
しかし私たちはそこでとどまらず、徹底的に人間を行きつく先まで追い込みますので、それを評してさらに「邪悪」と評されるのです。
そしてその行きつく先とは「覚醒」なのですが・・・
「宇宙全史」第一巻で出て来ました、恐竜人間の持つ形質にやはり邪悪さというものがありました。
そしてその邪悪さを「神から見放されたと感じる寂寥感」から来る自暴自棄のようなものと書いておきました。
彼らの邪悪さと私たちの持たされている邪悪さは異なるのですが、その在り様(道程)は違いますが、どちらも行きつく先(あるいは対比される対象)は、神(覚醒)なのです。
確かに人を教え導くのにも「言い方」というものがあります。
会社を経営していますと、やはり出来る人と出来ない人が出て来ますが、そこでどう指導し、教えていくかが問題になりますが、どちらかというと私は「単刀直入」な感じでの指導を好むのです。
もちろんやんわりと、遠回しにその人の出来ない部分をオブラートに包んで、いいところを伸ばしていこうというやり方もありますが(こちらが本流なのでしょうが)、私はそういうまどろっこしいことが出来ないのです。
そういう「穏便」とか「世間体」とか「常識」「人並み」「相手に合わせて指導する」という事にエネルギーを注ぐ方法もありますが、そこに私たち集合魂はこだわらないのです。
テレビなどの討論会を見ていますと、例えば原発の問題にしても、大体10人いたら8〜9人は意味のないことをしゃべっています。
つまりどうしようもない事を政治のせいにしたり行政のせい、電力会社のせいにするだけで、そこから何も突っ込んで行こうという意図がないのです。
その中で一人だけが「東電と行政の癒着」というような本質を突く意見を述べても全く問題にされず、最後はあたりさわりのない世間話のようなもので締めくくられてしまっています。
そして世界は大体そういう形で「あたりさわりのない」「角の立たない」「具体的な問題提起のない」日常を好むのです。
何故なら世界はこのままの延長でずっと続いていくと思っているからなのですが、そうでないことは昨年の東北大震災が教えてくれたはずです。
通常人々はその日常の「あたりさわりのない生活を維持するため」にほとんどのエネルギーを注いでいるため、宇宙の本質を探るためのエネルギーなどどこにも残されていないのです。
そして「あたりさわりのない生活」とは、まさしくここでいつも申し上げている「エゴ」に他ならないのです。
私は世間体も人の目も他人の思いもあまり気になりません。
だから愚かさというものを徹底的に追い込むことが出来るのです。
そしてそれは私自身の愚かさも含めてのことなのですが。
「植芝先生のお言葉で「滅びゆく数々の現象の中の一つではあるね」とあります。トライアスロンの結果は残念でしたが、もし他にも滅びゆかない象徴的な現象があるなら教えてください」
もしそういう現象があるとするのなら、それは皆さま方が世界平和の祈りを何の迷いもなく行じておられる姿なのかもしれません。
「蛍の光」という曲があります。
あれは遠い過去に私が作ったものでした。
この地球的にいいますと、ダーナ神族がいたアイルランドの時でそんなに昔ではないのですが、元々ははるか昔に私たち集合魂が母星を離れざるを得なくなった時に作られた曲でした。
日本語にあるような別れの曲ではなかったのですが、それでもそこには本来あるべき私たちが辿り着く境涯をあえて離れたという一種の寂寞感があります。
私たちは本来「深遠」に行きつく集合魂でした。
しかしある理由から「深遠」により、「深遠」をあきらめざるを得ないような形で地球という星に来ているのです。
その寂寞感がもたらすエネルギーがあなた方には「邪悪」と見えるかもしれません。
しかしそれは人々が別れの時にきく曲・・・「蛍の光」の在り様でもあるのです
この曲は世界中の誰もが知っている曲です。
それがやがて訪れる決着の時に流れることになっていますが、人々の好む別れの曲になるか、それともまた別のものになるのかは皆さま次第なのです。
ある時「蛍の光」が本来別れの曲ではないと気がつき、私がまだアンドロメダと出会う前に作ったその曲の歌詞(6番目ですが)です
一千億光年の 星座を後に
踊りつづけた 地上の日々
夜明けを待たずに 旅立ちましょう
今夜は二人で 旅立ちましょうか
しかしアンドロメダに出会い、月読の大神の指導の下、五井先生、植芝先生の弟子となってしまった今は、夜明けを待たずに旅立つことは出来なくなってしまいました。
私たちは本来「永遠」というものかこまれ、その「永遠」にチャレンジするという幸運に恵まれた比類なき存在です。
その比類なき存在を日々のやりくりに貶(おとし)めているいるものを激しく憎む邪悪さを持つのが私たちなのです
なおUFOに関しましては、そのうち時間が出来た時に詳しく書こうと思っています。
もう少しお待ちください。