岩井の本棚 札幌店レポート第1回

ゲームセンター略してゲーセン

ゲーセン。

その言葉に郷愁を覚えるのは僕だけではないはずです。
それは今だって、ゲーセンはあります。
アミューズメントなんちゃら、という名前でね。

アミューズメントなんちゃらは、賭博性を生まない健全なコインゲーム。 当たっても現金に換金できないパチスロ。 女の子と騒ぎながら楽しめる音ゲーや、射幸心をあおらない程度の景品が入ってるクレーンゲーム。 ギャンブルをしているような気分になれる競馬ゲームやビンゴゲーム。自動販売機にはジュースにアイス。

健全で、あとくされが無く、ふつうに女の子を連れて行ける場所。それが今のゲーセンです。

そんなゲームセンターの片隅に、かつての主役がほっぽかされておいてあります。それはかつてビデオゲームと呼ばれたもの。

いまでこそビデオゲーム・・・アーケードゲームは家庭用機・・・コンシューマーに対して優位性を持っていませんが、 かつてはアーケードで人気を博した作品がコンシューマーに移植される、という図式が成立していました。

しかしその移植度はどんなに頑張ってもアップライト筐体でコンパネでプレイする快感からは程遠い物でした。 ゲームセンターには、その快感に取り付かれた少年達が集まって共同体を形成していたのです。

アーケードとコンシューマーの関係は、映画衰退とテレビ勃興の関係に非常に似ています。
映像作品が家庭で見ることが出来なかった時に、人々は映画館を娯楽提供の場として利用していました。 やがてテレビが家庭に普及しましたが、当初は高くて手が出せる物ではありませんでしたし、 そこで放映される物は「電気紙芝居」と揶揄されるようなレベルの代物。

しかし映画で活躍していたスターがテレビに登場するようになったり、 連続テレビドラマやお笑い番組などテレビでしか放映できない形態の物がやがて現れるようになると、人々はテレビに夢中になりました。
見るたびにお金を払う映画は高い、と映画離れが進みます。 さらにビデオ登場で、映画も半年も待てばレンタルビデオで見てるようになると、 新作を観に行くのはコアな人とカップルばかりに。そして映画館は閑散とし、閉館が相次ぐ・・・。

これは映画をアーケード機、テレビをコンシューマー機、テレビやビデオに降りてくることを移植、映画館をゲーセンにそのまま置き換えることができます。
映画館がシネコン形式であれもこれも取り入れることで活路を見出した部分が、 ちょうどいまアミューズメントなんちゃらが歩んでる道なのでしょうか。

僕が通っていた頃のゲーセンは、今のようにきらびやかでもなかったし、ましてや女の子を連れてこれるような健全さはこれっぽっちもありませんでした。 もちろんゲーセンに行きたい、という女の子も皆無でした。

薄暗い半照明で、ほこりっぽく汚れたカーペット。ヤニくさい店内。遮光ガラスのドアに、汚い便所。ケバケバしい外装。 んで賞味期限とかどうなってんだかわからないブキミなハンバーガーの自販機や、 景品がまず取れない位置に設定してあるボッタクリプライズ機(注釈※1)に囲まれ、 営業中の会社員や午後の授業をフケた不良学生が時間つぶしに来る場所。 店員は大抵やる気の無いニィーチャンが腰から鍵束ぶら下げて、雑誌読んでる。それがゲーセンです。

小中学生はゲーセンにいるだけで補導されるし、近所の人に出入りしているのを見られると学校にチクられるので、 周囲を常に気にしないとゲーセンに入れませんでしたし、場所によってはカツアゲされる可能性が高かったし、 自転車は鍵をかけといても盗まれたり意味もなく蹴られたりするので、とにかく気が抜けませんでした。 入れた100円がカウントされないのは日常茶飯事でしたし、それで店員のニィーチャン呼ぶと舌打ちしたりします。

またゲーム自体も優しくなく、基本姿勢は「プレイヤーにコインを注ぎ込ませる」なので、クリアするのに相当つぎ込まないとクリアできませんでした。 1コインで初プレイ時は1分以内にゲームが終了する、なんて当然でした。 僕アルカノイド(注釈※2)初めてやった時、確か20秒くらいでゲームオーバーした記憶あります。

そんな過酷な状況なのに、なぜぼくらはゲーセンに通ったんだろう?
そしてゲームのために、あんなにも夢中になれたんだろう?

その答えがこの「パックランドでつかまえて」です。

田尻智さんといえばポケモンを作ったスタッフとして有名ですが、 僕らの世代的にはドルアーガやゼビウスの攻略を解析した同人誌「ゲームフリーク」の著者であり、 初めてプレイヤー側から有名になった人、としての田尻さんです。 作る側ではなくプレイヤーとしての田尻さんには当時からすごく憧れを感じていました。

この本で描かれていることの描写は、ぼくら80年代ゲーマーには目が潤むほど懐かしいことの連続です。
ゼビウスの先進さに感動したこと。ハイパーオリンピックで鉄の定規プレイ。 親の目を盗んで深夜のゲーセンへ。細野晴臣「ビデオゲームミュージック」に心酔したり。いずれも経験したことで、当時のゲーマーが必ず通った道なんですね。
特にゼビウスの噂編(注釈※3)では、ナムコの神ゲームデザイナーの遠藤雅伸氏と思われる人物が登場して話に絡んでくる部分に唖然としました。しかもアメリカンヒーローみたいな登場の仕方ですごく意外。

また、まさにゲームにあけくれた青春時代おもいださせる、純粋さと熱の高さがてらいのないまっすぐな文章で表現されています。 田尻さんの文章は技巧的ではなくひたすらまっすぐで、読んでいて涙が出そうになる箇所タップリです。

ハイパーオリンピックというゲームは、100メートル走競技のとき、鉄の定規をボタンの上に載せ、 ビヨンビヨンと弾くことで驚異的なスピードを出すことが出来ました。これはウラ技として、多くの子供達に口伝されてきたのです。

だが田尻さんの友達・哲夫はそれを認めませんでした。そんなことをするヤツとは一緒にゲームが出来ない、と拒否。 やがて何故それを拒否されたのかわかった筆者。そのときの文が泣ける。

「このあいだのこと、ごめんよ」
僕は、哲夫の目を見たまま続けた。
「みんなに勝つことばっかり考えていた。ただ早く走って勝てば、みんなは尊敬してくれると思ってた」
哲夫は、そのまま聞いていた。
「でも、そうじゃないってわかったんだ。僕は、ゲームを楽しむことを忘れていたんだ。きっと・・・」
(中略)
僕はこのとき、たとえ勝てなくとも、絶対にスポーツマンシップというか、ゲームプレイヤーシップに則って、ゲームを戦うんだ、と哲夫に、そして自分の心に誓っていた。

この本の初版は、格闘ゲーム以前の90年に発行されました。
PSが出る前、まだアーケードに元気があった頃の話です。ゲームは今後どうなるんだろう。 そんな予感は全て等しく希望に満ちた明るい未来だった当時。

しかし、いまのゲーセンがおかれた状況や、コンシューマーでさえゲーム離れが止まらない現在を知りながら、 こんな言葉をきくと、ひどく切ない気分にさせられるのも事実です。

「そうだ。僕たちはテレビゲームに出会ったとき、なにか予感を感じたんだ。 新しい予感。それは、テレビゲームをする事が不良といわれなくなる時代。ゲームが愛される時代の予感。 映画やロックが、かつて通ってきた道をテレビゲームもまた通るだろう、そんな予感を、無意識に感じていたんだ」

僕らが好きだったビデオゲームは、そしてゲーセンは消えてしまいました。
90年当時そんなことは予測しなかっただろう田尻さんの言葉が突き刺さります。

ゲームを愛する全ての人に。そしてかつてのゲームフリークに。
リターンオブイシター2コインクリアを成し遂げたかつてのナムコマニアに。
現在30代の人なら世代的に引っかかる部分が多いはず。必読の著ですよ。札幌店で840円にて販売中。

注釈※1

まだドライブインとかでよく見かけます。インチキブランドグッズとか、インチキジッポーとか、無版権のアニメグッズが当たるもの

注釈※2

レバーでなくボリュームつまみのようなコントローラーで操作するブロック崩しゲーム。タイトー製。熱いマニアが多いため稀に現役機が見つかる。

注釈※3

ゼビウスには16エリアを終えた後、ゼビウス星が出てきて大逆襲が始まる・・・という都市伝説。自分の住んでいた地区では「ゼビウス帝国面がある」と伝わっていました。

※この記事は2006年2月7日に掲載したものです。

(担当岩井)

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